月刊☆臥看牽牛織女星

15年の空白を経て宝塚観劇を再開。失われた時を取り戻すためのスカイステージ鑑賞記録をぼちぼちと綴ります。

綺麗は汚い、汚いは綺麗「PUCK」

月

「PUCK」再演は
12月の忙しい時期だったので観に行けなかった。

かなめちゃん(涼風真世)の「PUCK」は観にいってて
ゆりちゃん(天海祐希)のロバがやたら可笑しかったことしか覚えてなかったのだが
先日、千秋楽映像をCSで観たらいろんなこと思い出してきました。

 

とにかくかなめちゃんの声は特別な声だった。
だからこそ一番大切なものを使えなくするという罰が
「声を奪う」だったのね。
まさきさん(龍真咲)だと、なんだかそれはちょっと違う感があったな~。
歌はちゃんと歌えていると思うけど、声の特別感はないもの。
やっぱりこの演目はかなめちゃんの為に書かれたものなのだと
当たり前のことだけど感じました。

 

かなめちゃんは、どういうわけだか
芝居の会話が全く噛み合わない人だった。

ところがこれを逆手にとって
人間と会話が噛みあうわけのない
妖精(PUCK)とか
悪魔(天使の微笑・悪魔の涙やLOST ANGEL)とかを演じさせると
その特別な声と相まって、
たちまちありえないはずの妖精やら悪魔の存在が
リアルなものに思えてくるのだ。

なかでも「PUCK」は彼女の最大の当たり役といっていいと思うけれど
最初は生まれたばかりの妖精でまっとうな会話は成り立たないし
成長してきたところで声出し禁止となり
最後は記憶喪失
とにかく最初から最後まで、
まっとうな会話を廃しているという徹底ぶりだった。

それから当たり役といえば「ミー&マイガール」のジャッキー。
これは人間なんだけれど、とにかく人の言うこと聞きはしない、
いわゆるKYな人。
だから会話はまったく噛み合わなくってもOKだし

「銀の狼」は記憶喪失で
微かによみがえる記憶のかけらと
殺し屋としての今の自分とのチグハグさが芝居の肝だった。

 

会話が全く噛み合わないだなんて
普通に考えたら舞台人としては致命的な欠点のはずなのに
演出家はアテガキによって
その欠点を誰にも真似できない個性に変えてしまう。
そう、綺麗は汚い、汚いは綺麗。

アテガキこそ宝塚の醍醐味!!