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月刊☆臥看牽牛織女星

15年の空白を経て宝塚観劇を再開。失われた時を取り戻すためのスカイステージ鑑賞記録をぼちぼちと綴ります。

見えてしまう男「近松・恋の道行」

花

心中物の男って究極のダメ男のはずなんだけど
見てて不思議とダメ男だとは思えないの。

何故かしらね。なんというか
社会的、道徳的にはダメ男でも
情においては決してダメ男ではないからかしら。
誰もが持っている人間の業のようなものが垣間見えて
結構、感情移入してしまう。

やっていることは、ほぼ同じなはずなのに
「舞音」のシャルルにはほとんど感情移入出来なかったのだけれどね~。
何が違ったのかしらね~。情が見えなかったのかしら~。
全てを浄化するようなあの美しいラストシーンがなかったら、
いったいどうなっていたことやら。

  

いやまぁ、それはさておき
近松・恋の道行」を鑑賞。

みわっち(愛音羽麗)演じる嘉平次と
みりおん(実咲凜音)演じるさがが
心中へと至る物語。

 

なのだけれど、

なんといっても、私が心を惹かれたのは
みーちゃん(春風弥里)演じる鯉助である。

ダメ男である。

偉大なる父・近松門左衛門の名に押し潰されるように
日々、無為に暮らす鯉助ではあるが、
おそらく無能なわけではない。
ただのバカ息子ならどんなに楽か・・・ 

なぜならおそらく父と同じように
彼には見えるのである。
人の業というものが。

 

父は決して感情移入することなく人の業を冷徹に見つめ、
そして芝居に書き写すことが出来る。
近松を演じるハッチさん(夏美よう)はいつも感情を見せることなく、
厳しい顔で人々の生き様を見つめている。 

しかし鯉助は見えてしまう業を
父のように直視することができない。
見えたとしても、それを吐き出す(書き記す)ことが出来ない。
ただただ苦しいばかりなのだ。

そうして廓通いに酒と馬鹿騒ぎで
見えることを茶化しては、見なかったことにする日々。
繊細な心の持ち主の彼は、それを見つめれば心が壊れてしまう。

清吉(華形ひかる)と小弁(桜咲彩花)が本当に心中を図った時の
彼のうろたえようは痛々しいほどだった。
その後の廓で酒浸りになりながら彼の話す
「ごちそうが山と積まれているが船頭がいない虚ろ舟」とは自分の事なのね。
本当にあの場面は辛くて切なくて。。。涙があふれた。

 

一方、生命の助かった清吉と小弁は
この後、生きていく希望を見出していくのだが
嘉平次とさがは全ての歯車が悪い方へと回っていく。

みわっち演じる嘉平次は純真で
幼なじみにコロコロ騙されてしまうのだが
そこはちょっとワタシ好みではないかも。
「心中・恋の大和路」の封印切のように
そちらに行ってはいけないと判っていながら
どんどん深みにはまっていくほうが
人の業がより深く描けるように思うのだが
おそらくこの辺りはあまりドロドロとさせたくなかったのかもしれない。
にっちもさっちも行かなくなった嘉平次とさがは
結構あっさりと心中を決意する。

ここで効いてくるのが浄瑠璃人形の徳兵衛を演じた、かれー(柚香光)の美貌。
美しいが表情がなく、どことなく酷薄な容姿によって
同じように心中に至る嘉平次とさがの死の場面は
残酷で美しいものになっている。
そうして二人はドロドロすることなく
さながら浄瑠璃人形のように美しく物語の中に閉じ込めらてしまう。

しかし、鯉助はそれを物語の中の事と割り切ることは出来ない。
ラストの彼の引きつったような高笑い。
辛すぎます。

 

鯉助は明らかに主人公の一人なのだけれど
狂言回しでもないし、この心中の物語に直接深く関わっているわけでもない。

凡百の役者ならば必要のない役になってしまう危険性もあるのだが
みーちゃんならきっと演出家の意図以上に鯉助を演じられるだろうという
絶大なる信頼があったのでしょう。
本当に
色っぽくて、ヒリヒリと胸に刺さる演技でした。