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月刊☆臥看牽牛織女星

15年の空白を経て宝塚観劇を再開。失われた時を取り戻すためのスカイステージ鑑賞記録をぼちぼちと綴ります。

小説的舞台…なのかも「睡れる月」

雪

 

「更に狂わじ」「月の燈影」「花のいそぎ」
「睡れる月」「夢の浮橋

 

このところ大野先生の日本物作品がCS放送されています。

どの作品も
一分一秒も立ち止まることなく
どんどん過ぎ去ってしまう舞台という形態では
どうにも味わいきれない濃密な作品。

 

大野先生
もしかして
脚本より小説を書くほうが向いているんじゃないかしら。

小説なら、
一見無駄な枝葉や回り道も
それこそが読書の楽しみ。
少々じれったいところがあっても、
じっくり時間をかけ、読み進めていけば
最後にはきっとご褒美が用意されているでしょう。
時には後戻りすることだって可能です。

 

でも舞台ではそれが出来ないのよ。

もちろん、舞台だからといって
100%わかりやすい展開を望んでいるわけでは
けっしてないの。

あれ、ちょっとよくわかんないけど??
って思ったところが
どんどん解決されていけば
気分も乗って行き
最後には素晴らしいカタルシスを得ることが出来ます。

そうはいっても
やはり観客というものは
小説の読者に比べて
あまり我慢強くはないものなのです。

 

「睡れる月」には
いろんな思いを抱えた
いろんな人々が次々と出てくるのだが
ほとんど全部が、
出てきたは良いけれど、
結局、描ききれずにほったらかしになってしまう。
なので、観客としては
いつまでたってもカタルシスを得ることが出来ず
やがて退屈してしまう。

まぁ凡百の演出家なら
なんだよ~。生徒の顔見世に並べただけじゃん!
と、呆れてしまうところなんだけれど
大野作品の場合、
それぞれが深い背景を持っていて、とても魅力的なので
もっとこの人達のことをじっくり描いて欲しい!!
と思ってしまうのよ。
だけど
それを全て描くのは
舞台という世界では無理なこと。

 

大野先生、もし、お時間あるなら
ぜひ、これを小説化してください!

と頼みたい気分だけど…
そんな暇もないだろうし
退団して小説家にでもなられてしまったら
それはそれで困るしな~。

 

小説というのは
それが完成体であるけれど
脚本というのは
やっぱりちょっと違うのかもしれないですね。

面白かった舞台ってあとで脚本を読むと
(昔はプログラムに脚本が載ってたのよ。)
えっ?こんなにも大胆に話がとんでいましたっけ?
と思うことがよくあった。

 

バウよりもさらに時間の限られた大劇場作品だと
舞台を見た印象ほどにはびっしり書き込まれていないんだよね。
それでも、いい作品は
ちゃんとつながって伝わってくる。

あまり書き込みすぎず、余白を十分に残して
そこを演出と演技の力をもってして埋めていくほうが
もっとストレートに作品の心が
我々の胸に響くものなのかもしれません。

 

「NOBUNAGA<信長>」はどんな作品なのかしら。
大劇場作品は特に
よく書き込まれた小説ではなく
中身はちょっとシンプルでも
最初から最後までノンストップで読んでしまう
エンターテイメント性の高い徹夜本であることが要求されると思う。

 

前作
日本物が得意な雪組の「一夢庵風流記 前田慶次」はなかなか面白かった。
今度は月組
歴史的事実はあってもストーリはオリジナル。

さて
いかが相成るのか?
結構期待しているのだ。