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月刊☆臥看牽牛織女星

15年の空白を経て宝塚観劇を再開。失われた時を取り戻すためのスカイステージ鑑賞記録をぼちぼちと綴ります。

ここより何処かに「カステル・ミラージュ」「アデュー・マルセイユ」

宙

デビュー作「ヴァレンチノ」があまりにも素晴らしくってあの時は天才現る!と思った小池修一郎先生。

その後のバウ作品「蒼いくちづけ」も
大劇場作品「アポロンの迷宮」「失われた楽園」も
とっても面白かったわ。

そして海外ミュージカル潤色演出の手法で
エリザベート」という大金脈を掘り当て
いまや、押しも押されもせぬ大演出家へと上り詰めたわけですが
最近は1本ものの大作ばかり。

もう、2本立て公演の芝居とか
キュッと引き締まった小粋な作品は
作らないんでしょうかね~。

そんなわけで、宙組の「カステル・ミラージュ」や
花組の「アデュー・マルセイユ」を鑑賞。

いったいどれくらいまで、
こうゆう通常スタイルの作品を作っていたのかな?
なぜだか、どちらもアンダーグラウンド物だった。

アンダーグラウンド物といえば正塚先生を思い出しちゃうわ。
小池先生も割と書いているのかな~。

でも正塚先生は
そういう裏社会の中であろうが、なかろうが
どう生きるべきなのかという、
人としての矜持とか
人と人とのつながりみたいなものが
描かれている気がする。

一方、小池先生だと
その裏社会というシステムが
どういうものなのかという事が描かれている。
裏社会といえども、会社員みたいにシガラミが色々あるのよ。
ままならないのよ。という、
社会と人とのつながりが、ひしひしと感じられるのよね~。

 

「カステル・ミラージュ」のタカコ(和央ようか)は死んで
「アデュー・マルセイユ」のオサ(春野寿美礼)は事件を解決して
その世界を去っていく。

なんだかその姿に
小池先生の密かな願望を感じるのは
考え過ぎというものかしら?

予算や何やら色々制限はあったとしても
心の中は自由に作品世界を広げることが出来た若手時代に比して
大演出家として確固たる地位を固めた今
逆に心に色々な制限があるんだろうか…
(上には上の大御所も、まだいらっしゃるわけだしなぁ)

社会システムと自分とのつながりに、もがき苦しみ
あぁぁぁ、いっその事、外に飛び出してーーーー
なんて叫びつつ?
度々外部演出をしても、
宝塚の座付き演出家であり続ける小池先生。(あくまで想像)

 

海外ミュージカルもいいけれど
一本物の大作もいいけれど
あの初演の「ヴァレンチノ」のような
伸びやかな輝きをもう一度!!
と、思わずにはいられないわ。