月刊☆臥看牽牛織女星

15年の空白を経て宝塚観劇を再開。失われた時を取り戻すためのスカイステージ鑑賞記録をぼちぼちと綴ります。

本日「カンパニー-努力、情熱、そして仲間たち-」観劇1

月

現代の日本が舞台でしかも主役はごく普通のサラリーマン!
私が見る限りでは初めてかも。

「王妃の館」も現代が舞台で主役は日本人だけどエキセントリックな作家だったし舞台はフランスだし。
普通のサラリーマンが主役の「シャル・ウィ・ダンス」はイギリス人に設定を変えていたし。
まぁ、これを宝塚で観たいかどうかというのは意見がわかれるところだとは思うけど、
こういう現代劇を描かせたら石田昌也先生の右に出るものはいないわ。(と言うか石田先生以外に書く人いないわ。)

たとえ欧米人を主人公とした話でもどことなく日本テイストになってしまう石田先生。
なので今回、設定を外国に変更することなく現代の日本を舞台にしたことでいつも感じるどことなしの違和感はなく、普通の人々の日常が自然に描かれていました。
原作は読んでいないからそこからの取捨選択の良し悪しはわからないけれども、舞台作品として破綻なくまとめる手腕はやっぱり若い演出家と比べるとみごとな職人技といってもいいと思います。

ただね、ちょいちょい心をざわつかせるそのデリカシーのなさがね。
その客層が女性が大半を占めている宝塚歌劇において、特に今の潔癖な若い人にとっては生理的に受け付けない部分ってあるんじゃないかなぁ。と心配になってしまう。せっかく仕事がちゃんとできる演出家なのに、こういうことで反感買うのは実にもったいない。
ちゃんとわかっているだろうに、あえてやってしまう。。。という心理って、もう~~なんなんだろう。

かつて昭和のOL(これも死語だな)だったオバンの私が若い時代、今考えればセクハラといえる(当時はそういう言葉自体がなかった)こともちょいちょいあった。なにぶん男女雇用機会均等法以前、ほとんどの女性社員は2,3年もすればすっかり入れ替わる雑用要因。ゆえに十把一絡げで「女の子」と呼ばれていた時代だ。それでもいちいちカリカリするのもこっちのほうが消耗するから特に誰かに訴えたり、声をあげることをしてこなかった。そういうことに鈍感でいることが逆に自分の身体と心を守る術だったのだと思う。今の若い人たちにつけを回したみたいで申し訳ないとは思うけど。

でも女性の社会進出が増え、責任ある仕事も任されるようになり、パワハラ・セクハラという言葉も広く認知された昨今、この石田先生のデリカシーのなさはうっかりすると炎上ものかもしれないって心配してしまう。
ったく男って輩は!って不愉快ながらも冷めた目でとりあえず受け流しておくのが常だった女性はもうかなりの年代になっているわよ。
若いファン層が嫌悪感を抱かないよう、せめて毎度おなじみクネクネセクシーキャラの登場だけでも止めたほうがいいと思うのだけど。
という批判はいまどき山程劇団に届いているんじゃないかと思うのに、相変わらず登場するのは
女のロマン(壁ドン美男)は許されて男のロマン(クネクネ美女)が否定されるのは理不尽だ!!っていう石田先生のささやかな抵抗なのかしら?

なんで石田先生の作風がどことなく日本テイストになってしまうのかっていうと、こういう誇張したキャラを平気で舞台にのせてきたり、まるで会社の宴会で説教するような作者の主張が込められたセリフを演者の口を借りて言わせたり。そんなところがかつての昭和あたりの日本の姿を連想させてしまうんだろうなぁ。