月刊☆臥看牽牛織女星

15年の空白を経て宝塚観劇を再開。失われた時を取り戻すためのスカイステージ鑑賞記録をぼちぼちと綴ります。

いびつな童女「凱旋門」3

雪

ヒロインのジョアン。
これはどうすりゃいいのって言うくらいの難役だわ。

まあやちゃん(真彩希帆)は才能あふれる娘役さんではあるけれど、前回の「ひかりふる路」でだいもん(望海風斗)の相手役なればこそ娘役トップとして最大限にその力を発揮できるのだと思い知らされただけに、別の人っつーか、いしさん(轟悠)の相手役って、それありなの?という気持ちがどうしても生まれてしまいます。
いしさんとの並びが似合っていたか?といえば、似合っているとは言えないでしょう。

硬質でどこか彫刻めいた佇まいのいしさんの隣には、やっぱりグンちゃん(月影瞳)のように、美しいけれどふんわりしたところがあまりない大人の女性が似合うような気がします。グンちゃんは「凍てついた明日」のボニーみたいに、バサッと何かを放り出したような役も似合っていて、ジョアンも(初演は観ていないからなんとも言えませんが)きっとぴったりの運命の女だっただろうなぁ。と想像できます。

でも今回、いしさんラヴィックは青年から中年に変わっています。
ジョアンも初演とは別のタイプの人であってしかるべき。
並びが似合っていない、不釣り合いだからこそ立ち上がってくる世界観があってもいいんじゃないかなぁ。


アンティーブの場面でコロコロと天上の歌声で楽しげに浅はかな夢を歌うジョアンのまあやちゃん。
そうか、そうきたか。
見かけは大人でも中身は童女のようだ。
童女というのは子供っぽいということではないわよ。無垢であるがゆえに残酷っつーか。

こりゃぁ、しゃあないね。
理性と道理ではふさわしい相手ではないとわかってはいる。でも自分の愛によって輝き始めた女なのだと思うと、この誇り高き男は独占欲が抑えられないのだ。

人生の黄昏に足を突っ込みかかった、けれどもまだまだいろんな執着が捨てきれない美中年が、この欲望をまるで隠さない童女のような女に心惹かれる。
説得力、あったと思うわ。


まあやちゃん、ほんと頑張りました。
歌はもちろん演技の情感も申し分なかったと思う。
ただ、その演技の確かさ、安定感がジョアンというどこか不安定な人間をわかりにくくしていた面があったかもしれません。
欲を言えばもうすこし、いびつで未熟な感じが出てても良かったんじゃないかなぁ。

もっとも、いしさん相手に半端なことはできないという強い覚悟があったのでしょう。
完璧を目指し、その上でダメな部分をさらけ出す。というのはなかなかに難しいことかもしれません。
そしてそれができる相手役はやっぱりいしさんではなく、だいもんなんだろうなぁ。