月刊☆臥看牽牛織女星

15年の空白を経て宝塚観劇を再開。失われた時を取り戻すためのスカイステージ鑑賞記録をぼちぼちと綴ります。

本日「MESSIAH-異聞・天草四郎-」観劇1

花

仲良しのヅカ友さんに「号泣必至やでぇ~~」と散々脅かされたので、しっかりハンカチ握りしめておりました。
が不思議なもので1ミリも涙こぼれず。
お隣の席のお嬢さんは泣いてらしたので、私の泣きのツボが相変わらずおかしいのでしょう。

涙こそこぼれませんでしたが、ずっと最後までダレることなく、飽きることなく、緊張感をもって観劇を楽しめました。

まず、照明が美しかった!
安定の2階席から観ておりましたので、床に映る光がとってもよく見えて美しくてほぉ~~っとなった。
装置も特に奇をてらったものではないけれど良かったなぁ。松井るみさんだったのね。

作演出の原田諒先生は舞台の構造的な美しさに関してはさすがだなぁと思う。
彼の作品を見ると何となくいつも思い出すのがルネサンス期の画家ピエロ・デラ・フランチェスカ

ルネサンス初期の人でありながら正確極まりない遠近法とか、明瞭な色彩感覚とか、人物配置の妙とか。
ちょっと数学的で人の心の内面とか機微みたいなものはあまり感じられないのだけれどね。でも、そこに現代アートにもつながるようなモダンさがある。

原田先生の作品もそんな感じ。
構造的な美しさには毎度見惚れるのだけれど、心の柔らかいところを突いてくるという感覚がまだあんまりないなぁ。
もちろん突かれると弱い部分って人によって違うので、あくまで私の琴線に触れるかどうかの話ですが。


多分私は、
「もしかしたら違った未来があったかもしれない。でももう取り返しがつかない。」
というシチュエーションにめちゃくちゃ弱いのかも。
なので「ひかりふる路」のラストでびっくりするほどダダ泣き。

「もしかしたら違った未来があったかもしれない。でもこちらの道も私が選んだ道」
というのもとても心惹かれます。
映画「ラ・ラ・ランド」がそんな感じでした。


「MESSIAH」の場合、主人公が天草四郎って聞いただけで最後は全員皆殺しなのは予想できてたわけで。違った未来を思い描くこともなく悲劇のラストまでまっしぐら。そりゃそうなるしかないよなーって心の準備が出来すぎてしまったのかもしれません。


あ、ちょっと突っ込ませてもらうと、あの花の色素で綺麗な赤の顔料は作れないと思うよ〜。
でも「この島でとれるカイガラムシで綺麗な赤が出来る」じゃ気持ち悪いし、「この島で取れる岩石で綺麗な赤が出来る」でも美しくないし。宝塚的には花が正解かー。