月刊☆臥看牽牛織女星

15年の空白を経て宝塚観劇を再開。失われた時を取り戻すためのスカイステージ鑑賞記録をぼちぼちと綴ります。

登場しない登場人物「霧深きエルベのほとり」2

星

「アルジェの男」の配役が発表されましたね。
どうやらアンドレが復活のよう!なんとなく下男じゃなくて従僕って感じになりそうな気がするけど、それもまた良き哉。

月組再演時のあの改変はちょっと納得がいかないものではありましたが、その時、その人に合わせて書き換えるのは決して悪いことではないと思っています。アテガキこそ宝塚の良さ、強みだと思うから。

昔に比べて企画段階からガッツリアテガキというわけにはなかなかいかないという話も聞きますが、宝塚が座付き演出家という制度を維持しているのはきっとそのためですもの。
もちろん改変したことで、その物語の持つ本質が崩れてしまったら困るけど。


今回「霧深きエルベのほとり」については、変えてもいいところ、変えたほうがいいところ、決して変えてはならないところ、すべて納得がいくものでした。


上田久美子先生は「文字の人」だなぁって、いつも思います。
これまでに書かれたオリジナルの脚本も、今回の潤色も、物語としての完成度、筆力がとても高い。
今回もおそらく菊田先生の脚本を何度も何度も読み込んで潤色をされたのだと思いました。

しかし「文字の人」であるがゆえでしょうか、かつての「エルベ」の舞台でセリフではなく演技で表現されていたある人物の存在が割とすっぽり抜け落ちていたように思うのです。


私も初演、再演は見ていません。
ミッキーさん(順みつき)のサヨナラ公演しか観ていないので、それが元々あった菊田一夫の仕掛けなのか、それとも三演目の出演者の個性によるものなのかは定かではありません。私の勝手な思い込みかもしれませんし。


セリフにほんのちょっとだけ言及されていて、実際には出てこない人物。
それは、マルギットの実の母です。

若い会社員と出奔したふしだらな女というような表現だったでしょうか、マルギットの父のセリフの中に出てくるのみで、昔も今も舞台には登場しません。

保守的な名家の価値観を持ち、逃げられた夫の立場から見れば確かにそういう女でしょう。
人妻が不倫のはてに幼子を置いて家を飛び出すというのは倫理的、社会的には褒められた話ではありません。
でも、観点を変えれば、身分の差も、貧富の差も乗り越えて真の愛を貫いた女ということになりませんか?


実際に登場もしないマルギットの母の影がどうして前回の舞台では感じられたのでしょうか?
それはマルギットを演じたひとみちゃん(若葉ひとみ)の演技によるものでした。

ひとみちゃんはとても大人っぽい美貌の人。
ちょっと気が強くチャーミングで自立した女性役が多かったように思います。
「夜明けの序曲」の貞奴や「琥珀色の雨にぬれて」のシャロンが当り役と言えばイメージがだいたい湧くでしょうか?


「エルベ」のひとみマルギットはもちろん深窓の令嬢ではあるけれど母譲りの激しい情熱をうちに秘めた人でした。
家出もカールとのいきさつも、全て自分の強い意志によるもの。心の熱さが感じられました。
ピアノを激しく弾くところにも彼女の性格が表れていますね。

また、彼女の激しさの対比として母違いの妹シュザンヌが描かれています。
キャルさん(ひびき美都)が健気に演じ、その佇まいはシュラック家の後妻である彼女の母と共通しています。


マルギットは上流階級育ちゆえに意図せずカールを傷つけてしまうこともありますが、深窓の令嬢とも思えぬ強さを持ち合わせており、かつて彼女の母がそうしたように家を出て、カールと二人、貧しくとも心は自由に生きる未来を観客に予感させたのです。

そしてその母娘どちらの愛も、父が発した「ふしだら」という言葉ではなく、「真実の愛」と表現されるべきものなのだと感じ取れたのです。


にもかかわらずカールはマルギットのことを想うがゆえに自らが悪者となって去っていってしまう。
急転直下の展開がドラマティックで切なかった。

カールの思いやりもマルギットの一途さも、どちらも真実の愛であるがゆえにやるせない
間違いなく深く強く愛し合っている二人なのに〜。涙。



娘役トップ4作目の充実期にあるあーちゃん(綺咲愛里)。
スカピンのマルグリットを演じた彼女ならひとみちゃんと同様に内側に情熱を秘めた大人の女性として演じることだって出来たはずです。

しかしあーちゃんマルギットは姿も心も無垢そのもの。
純粋すぎるあまりド天然のお嬢様。

誰が見たって元船乗りのカールとでは1秒たりとも暮らしていけそうもありません。
カールもそれがわかるので、もう別れるしか道がありません。
まさに万人が納得する行動です。

だけどそれじゃぁ、ごくごく当たり前の原因と結果を描いただけに過ぎないのでは?
今の若い観客の人たちが「結局同じような育ちの気の置けない人と結ばれる方が幸せよね。」などという単純な教訓として受け取ってしまわないかがちょっと心配。

物語が単純化されてしまっては人の心の複雑さや人生のままならなさが描き切れない気がする。
明確ではあるけれど情緒に欠けはしないでしょうか?


マルギットのセリフは以前と全く同じなのに、なぜあれほどまでに純化した存在として演出してしまったのだろう。それが唯一の疑問。
脚本の文字だけを追えば確かにマルギットは純粋なんだけど〜。純粋の方向性が私の思ったのと少し違ったかも。


今回の潤色に際し、カールの元恋人アンゼリカは、より魅力的になるようにセリフを改変してあったのになぁ。

そういえば上田先生って人妻を描かせたら右に出るものはない気がする。

もしもこの作品がマルギットとフロリアンと既に結婚している設定だったとしたら上田先生の演出の腕は超絶冴えわたったのかもしれません。