月刊☆臥看牽牛織女星

15年の空白を経て宝塚観劇を再開。失われた時を取り戻すためのスカイステージ鑑賞記録をぼちぼちと綴ります。

ずいぶん違ってた初演・再演「凱旋門」

雪

GWということで、じっくり見たい作品をCS鑑賞。
ずっと見たかった「凱旋門」初演をようやくスカステで見ることが出来ました。

思ったより再演と趣が違っていて、ちょっとびっくり。


ラストが全然違う!

初演にはその後が、つまりレジスタンスによる戦闘からパリ開放に至るシーンがある。
そして、その中にはラヴィックいしさん(轟悠)の姿が。

ラヴィック生きてたんかい!

いやぁ。これにはびっくりした。
どうやら後物芝居だったらしくフィナーレがついているのね。
きっとそのフィナーレに自然につなげるためにこの歓喜のラストシーンをつけたのでしょう。


だけど、理由はもう一つあるように感じました。
それは、初演に漂う言いようのない重苦しさ。
初演のほうが時代の影がより強く感じられます。


例えばホテルの住人たち。
初演はずいぶんピリピリした感じ。

再演の方が優しさとかいたわり合いが見られた気がします。破滅が近づくことは感じ取っていても、まだもしかしたらなんとかなるんじゃないだろうかというような楽観的な雰囲気も少し漂っていたように感じられたかな。
人間ってそう思いたいものなのよね。「正常性バイアス」とか言うんだっけ?

全体的な街のムードや人々の表情も再演のほうが少し華やいだ感じがします。いくらなんでもこの1年後にパリがナチスドイツに占領されるだなんて当時の人達はきっと想像出来ないよね。


それからジョアン。
この運命の女の造形が決定的に違っている。

まあやちゃん(真彩希帆)のジョアンのラヴィックとともにいる時の多幸感!!

世が世なら大病院の外科部長だったはずのラヴィック。
誇り高くそれなりに傲慢なこの男に亡命先のモグリの医者では得ることのできない全能感をもたらしてくれるのがジョアンだったのかも。
戦争直前の黄昏のパリと黄昏の男が美しく輝きはじめます。

それゆえに、灯火管制の闇に凱旋門が沈み、おそらくラヴィックはもう二度とその凱旋門の姿を見ることはないであろうあのラストシーンが切なくて涙が溢れました。


一方初演のグンちゃん(月影瞳)のジョアンに多幸感は全然ありません。
花組下級生時代をよく知っている人だけど、ここまでアンバランスな女性として演じているとは思わなかった。

ちょっと怖いくらいに痛々しくって。このジョアン、演技としては見事だと思いながらも生理的に受け付けられなかった観客もいたんじゃないかなぁ。
私はこの精神的にいびつな感じ結構好きですけどね。

いたたまれなさとか焦燥感とか、とにかく生き急ぐような、いや死に急ぐようなジョアン。なんだか最初から最後までキキィ~~ッと黒板を引っ掻く音を聞くようなぞわぞわ感。

グンちゃんって美人だけどちょっぴり般若顔なので、美しい女の底知れない恐ろしさをも垣間見る気がして〜。
ラヴィックとの恋も上手くいっている時でさえ二人とも不幸としか思えない。
まさに死や破滅を体現する運命の女。

でもジョアンがそんな生き方しかできなかったのも政情不安やファシズムの台頭で人々に暗い影が重く垂れこめてきた戦争前夜だからなのかもしれません。


初演における物語最終盤、共に同じ収容所に行けると安堵した不倫の恋人同士が男女別に収監されると聞いた時の絶望の表情も衝撃的でした。
これ再演ではなくなった設定ですよね。
収容所に行けばどうなるのか、その恐怖は初演のほうが強く感じられます。


だから積み重なったこれらの黒い影を完全に取り払い、観客が最後にカタルシスを得られるようにパリ開放のラストが初演には必要だったのでしょう。

それにフィナーレの男役群舞が素敵だった。あの「金色の雨」の編曲は斉藤恒芳先生ですよね。素晴らしかった!


でもどちらかといえば私は再演のラストシーンのほうが好みかな。
年齢を重ねた再演のいしさんラヴィックにふさわしい切ない幕切れ。
ここで物語が終わる方が余韻が残って好きです。

とはいえどちらが良いとか悪いとかは言えません。
どちらもそれぞれに納得がいくし、どちらも、その時代、その出演者の個性に合わせた良い演出だなと思いました。