月刊☆臥看牽牛織女星

15年の空白を経て宝塚観劇を再開。失われた時を取り戻すためのスカイステージ鑑賞記録をぼちぼちと綴ります。

本日「シラノ・ド・ベルジュラック」LIVE配信1

星

これはもう。ほんとに。弱いです~~~~。
こういうのこの歳になると、もうダメ~~~。泣いちゃって。
そしてとてもとても好きです。

フィナーレせおっち(瀬央ゆりあ)がすごくかっこよくて、でも芝居からなかなか気持ちが切り替えられなくって。
泣きながら「せおっちかっこいいよぉぉぉぉぉ~~~。」ってロレロレになりながら見てました。

シラノのいしさん(轟悠

ちょっとお声が出しづらそうだったり、ちょっとセリフを噛んじゃったりもありましたが、そんなこたぁ~~~ど~~~でもいいです。

腕は立つし詩の才能も豊か、なのにコンプレックスをかかえてトラブルを撒き散らすような生き方しかできない。もっともその高すぎるお鼻、全然醜くありませんけどね。

コンプレックスが鼻だろうがなんだろうが目の前にあるはずの幸せに喜んで飛びつくことを自ら禁じる気持ちってなんだかすごくわかる。もはやそんな痩せ我慢などする時間の余裕はない年齢となっているのに。
大切なものを目の前にすると大切すぎて自分がそれを手に入れてはいけないって思っちゃうの。 この芝居が胸に染みるのはやっぱりもうどうにも取り戻せないほど人生進んじゃったこの歳になったからかなぁ。
そんな中年の人生の哀感をこの宝塚の舞台で違和感なく美しく演じられるのはやっぱりいしさんならではです。

そしてそのいしさんとの共演したのは「ドクトル・ジバゴ」でもすばらしかったせおっちとあいちゃん(小桜ほのか)そしてみっきー(天寿光希)。 もう安心。安定。

せおっちのクリスチャン

おバカ設定ではなくて良かった〜。
美しくて愛すべき(←ここ重要)好青年がピッタリ。彼のためなら一肌脱いでもいいかなって思わせる説得力がある。

「愛してる!う…。と、 とても! 」
うん。すごく伝わるよ〜。現代ならばそれなりに。
日本でも平安貴族に恋の歌が必須なようにこの時代のフランスも詩で想いを伝えるのが当たり前だったのかしらん。
産まれるのが少し早すぎたか。

若者ならではの周りが見えない性急さが恋と友情と戦いにより大人の男として開眼していく過程を丁寧に演じていてとても良かった。

あいちゃんのロクサーヌ

彼女は美しいもの、美しい言葉が大好きだったのね。
でもやがてその言葉の修辞的な美しさではなく、その奥にある想いの美しさに気づいていく。
それはきっと彼女の心の成長というか心の豊かさというか、そういうものが感じられる温かな演技でした。
娘時代もチャーミングだけど、ラストの修道院のシーンの柔らかさが好き。

みっきーのド・ギッシュ伯爵

三日月お目々がツボすぎてめちゃめちゃ笑った〜!
色っぽいのに、お茶目。
成功をつかんだはずなのに感じる人生の虚しさをたたえたラストの姿が胸に染みました。

装置も素敵

時々木のシルエットに半分隠れたり石造りのアーチから半分覗いている満月の背景がロマンティックで美しい。
想いを内に秘めながらロクサーヌを見守り続けたシラノを象徴しているようでもあります。


1幕では楽しく、2幕では切なくほろ苦く。
人の心の誠実さと滑稽さ。後悔。
手に入ったものと入らなかったもの。
いろんなことを思い巡らせてくれる素晴らしい舞台でした。